「大雪山にあるアイヌ語が付いた山々」

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                大雪山にあるアイヌ語が付いた山々                   辻井泰輔


□ 前書き
  アイヌ語の山名ピリカヌプリ、ウペペサンケ等などなんと美しい響きの言葉だろうか。これらの美しい名の山を登るときなんとなく心が躍る。山名を知ることは日本語、アイヌ語に限らずそこにあった歴史、文化を知り敬意を表することだと思う。我々の先祖は蝦夷地、すなわちアイヌの土地として、日本とは区別されていたこの島を支配し、もともとあった地名に漢字をあてはめ、無理やり日本的な地名にしてしまった。このほど白老町アイヌ文化を発信する施設として「民族共生象徴空間」愛称「ウポポイ(大勢で歌おう)」がオープンした。このことは北海道へやってきた和人がアイヌの人たちへ不条理なことをした詫びである。

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オプタテシケ山 標高:2012m

    オプタテシケ山十勝岳連峰の北端に位置し表大雪と十勝岳連峰の接点にある山である。山頂付近は噴火により滑り落ちたことで、鋭い形山容になった。名前の由来はアイヌ語で「オプ=槍・タ=そこで・テシケ=はねかえった」である。
大昔、神様が恋争いして投げた槍がそれて跳ね返ったという伝説に因んで名付けられた。また、オプタテシケ山雌阿寒岳と夫婦山だったが離婚の末に槍を投げ合う大喧嘩をした。最終的には雌阿寒岳が槍を当てられ今でも傷が膿を流している。雌阿寒岳の火口こそがその傷跡だという伝説もある。

    金田一京助氏の「アイヌ伝説」によると、アイヌの人々にとって北海道最高峰は旭岳でなくオプタテシケ山だと信じていた。そしてさながら日本神話の高千穂の峯のような荘厳な神聖な高山であった。


□エサンオマントッタベツ岳:1902m
    登山道はない。日高山脈戸蔦別川の支流エサンオマントッタベツ川を遡って達する。山名は「遡って行けば元の所に帰ってくる山」という意味だそうだ。東西にくっきりと刻まれたカールを抱え、大翼を広げている。


カムイエクウチカウシ山:1979m
    日高山脈主稜線に悠然とそびえる男性的な山容を誇る。
山名はアイヌ語「熊(神)の転げ落ちる山」に由来する。通称は「カムエク」。1965 年3 月(昭和 40 年)北大山岳部 6 名が国内最大級の雪崩事故に遭遇した。このときリーダーの沢田さんのポケットから「雪の遺書」が発見され遭難の様子が記録されていた。

*この両山名の文字数は 10~11 文字で、日本で一番文字数が多い山である。


□豆知識 空蝉(うつせみ)
    里はゆく夏を惜しんで蝉時雨だが、道端には蝉の抜け殻が空しく落ちている。その抜け殻を「うつ蝉」と言い「から蝉」とは言わない。源氏物語の第 3 巻の巻名は「空蝉」だが、17 歳の光源氏が空蝉(中納言の娘)の寝所に忍び込むが拒否される。巻名の由来は、光源氏の求愛に空蝉が一枚の着物を残し逃げ去ったことを、光源氏セミの抜け殻にたとえて送った和歌から名付けられた。尚、空蝉は作者の紫式部がモデルと言われている。     2020.9 記