山名・コース】大倉山(307m)、三角山(311.07m)、荒井山(185m)
【期間】 2021年 8月 29日(日) 【天候】 はれ
【形態】 (A)・ C ・ P ・ 他
【性別】 男性 2名 女性 6名
【メンバー】 CL134金、156鳥、SL177吉D、204星、317納、319柏
370津、378城
【山行形態】 (尾根・縦走) 沢登り 岩登り 登攀 山スキー
【地点時間】〔記録者〕会員№317納
7:00大倉山ジャンプ場駐車場集合→7:10大倉山登山口出発→7:40大倉山山頂→
07:44小別沢分岐→8:14四阿(あずまや)・十の坂→08:30三角山山頂→
09:10大倉山ジャンプ競技場展望台09:20→09:50札幌オリンピックミュージアム→09:58荒井山散策路
入口→10:10荒井山シャンツェ→10:20荒井山山頂10:30→10:35荒井山散策路入口
【短信・感想】会員№317納
8/1(日)大平山で不覚にも熱中症。盆中に予定していた山行は天候に恵まれず1839峰は順延、クワンナイ川遡行中止となり、猛暑も影響して山行が出来ない日が続いていた。
この山行は本来はサークル山行として計画されたものだったが金さんにお願いし参加させていただく事とした。更に札幌市民にとっての里山三山散策なので、山に登れていない柏さん、津さん、城さんにも声掛けし思いの外賑やかな山行となり僕にとっては、8/1大平山と今回の貴重な八月二回目の山行となった。
どんな山でも暫くぶりの山行は不安なものだ。
でも、集合した時点でその不安はメンバーの明るさに吹っ飛んでしまう。今日も、青空に恵まれ、メンバーに恵まれ、山に恵まれ、楽しい山行が出来そうだ。
今日の山は、大倉山、三角山、荒井山の縦走、子供のころから親しんだ山なのだが実は山登りとしては初めて。
旭山公園は子供の頃、温泉山と呼ばれており冬になるとスキー場として毎日のように遊びに行っていた。そこから、札幌の街の景観を普通に見ていたが結婚し子供を連れて旭山公園から暫くぶりに見た札幌の景観の変貌に驚いた事があった。今回はどんな景観が見えるのだろうと興味深々でスタートした。
先ずは札幌オリンピックの象徴、ジャンプ台を背に記念撮影。
こんなところに登山口があったのか?ちょっと入ると開拓以前の原生林を髣髴させる樹林帯を散策しながらの森林浴。
そして、樹林の切れたところからは高層マンションが立ち並ぶ琴似駅周辺の景観。都会化した札幌に若干の違和感を覚えつつジャンプ台を見上げる。
船木のバッケンレコード、長野の日の丸飛行隊の金メダルの印象が重なる。札幌オリンピックの頃は選手もスキーを担ぎ階段を登って競技に臨んでいたのに今ではリフトが設置されている。本来なら観光気分でリフトに乗りたいところだが今日は登山、自分の足で山頂を目指す。景観は札幌大通りを正面に見る位置に変わる。テレビ塔が真正面に見える札幌を象徴する景観だ。夜景の素晴らしさを想像しながら歩いていると、あっという間に、大倉山山頂の標識。始めて出会った~、タッチ!みんなの嬉しい表情を記念撮影!
途中、途中に散策路の案内看板が設置してあり縦横無尽に散策できることに感心する。
四阿(あずまや)があり、麦わら帽子を被ったちびまる子ちゃんのこけし人形に笑みがこぼれる。“十の坂”を登ると三角山山頂。
ここからは青空に輝く円山、藻岩山、札幌を囲む山並みが一望できる。水と行動食を補給し移動すると大倉山シャンツェ展望台。ここから選手たちは飛距離を競うのか…?
スタート台は着地面から133mの高さにあると説明看板があった。若いころから色々な運動をし今は山登りをしているが“ジャンプ”に出会わなかったことに感謝した。
足取りは軽く小鳥たちの声が可愛く爽快…。しかし、何故かパーティのさえずりがそれを上回る。こちらのさえずりは止むことはなく続く…。
昔、辻井さんが山行中はおしゃべりを慎むように幾ら云っても効果が無かったと嘆いていたことがあった。そういえば今日のメンバーはその頃の主力…。自粛、黙食、黙浴etc、緊急事態中に首相や大臣から云われても止まない強力なさえずりは辻CLに云われたくらいで止まる訳がない。これは元気の証しなのだ。
山ではいつもこのさえずりに励まされ高度を上げている。これが聞こえないと心配で時々振り向く…。
荒井山到着。
荒井山シャンツェからの景観は札幌の高層ビル群の展望だった。
かつては札幌の最高高さを誇ったテレビ塔をJRタワーから初めて見下ろした時、カルチャーショックを受けた記憶が蘇った。
しかし、札幌駅南口再開発では更に高い250mのビルが計画されており、昔はリトル東京と云われた札幌…。
人口減少が現実になる中、この街にはこれから新幹線延伸、オリンピック招致、駅前通り再開発、高速道路の都心導入などの大型事業が計画されている…。
明治のはじめ未開の地だった蝦夷地の「サツ・ポロ」(乾いた広い場所)あるいは「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地がアル場所)の原生林を伐り開いて築かれた札幌の町。
先人の艱難辛苦に想いを馳せる…。
明治2年(1869)10月(新暦11月)初代判官島義勇は札幌市街地の区画を決め原生林を伐り拓き、役所や官舎・倉庫・病院などの建設が進められ人々が集まってきたと云う。
南北基線は大友堀(創成川)、東西基線は銭函道(南一条通り)この両者が交叉する橋(創成橋)を札幌の中心と定めた。また、島義勇は「コタンベツの丘」(円山・札幌市中央区宮ヶ丘)の麓に札幌神社(現在の北海道神宮)をつくり、神祇官から託された守護神を据えた。碁盤の目に区画された京都と佐賀城下を混ぜたような都市計画を策定し、
「他曰五州第一の都」(将来世界一の都市になるだろう)と託し漢詩を残している。
今日は「コタンベツの丘」の更に上から152年前島義勇が構想した札幌の街が眼下にあった…。
こんな近いところで札幌の開拓に想いを馳せる機会を得られ素晴らしい一日を皆さんと過ごすことが出来ました。
高い山ばかりを目指していて、これまでこんな機会を逃してきたんでしょうね。
金CL、メンバーの皆さん、心安らぐ山行ありがとうございました。
【ヒヤリハット】
特になし
“マムシに注意してください”の看板がありました。ご注意ください。