キリマンジャロ(短信・感想)②

【報告詳細は《2019-12-19~31 キリマンジャロ(5895㍍)&サファリパーク》をご覧ください  このページは短信・感想のみの記載です】 

 

【短信・感想】    千

昨年5月に、職場健診からしつこく受診を促されて循環器科で精密検査を受けた時に、医師より「もう今後は、高い山はよして千m位の山に楽しく登ることをお勧めする」とか言われてムっと来ていた私。「あー、ヒマラヤ行っといてヨカッタ」と思って、高所登山はもう考えない・・・かと~?コロッと一転し、キリマンジャロの声に手を挙げた。

 今度はアフリカ大陸だ、未知の道に心は動く。思えばヘミングウェイ著「キリマンジャロの雪」に憧れて、22歳の頃行ってみたかった山だ。40年近く経ってから実現じゃろ!

 

 12月20日、Kilimanjaro International Airportに降り立つと、迎えてくれたのが山岳ガイドのグッドラックさん。36歳、タンザニア人で長身のイイ男っぷり。ここからミッチーの拙い英語修業が始まった。我々百松チームは6人、一方キリマンジャロ登山スタッフの総勢16人。ガイドとコックとポーターが、手厚く我らをサポートして5泊6日の山旅へ!初日はアルーシャ市内のホテルに宿泊し、現地でツアー会社を経営する松岡恵子氏を交えてのブリーフィングと荷物点検を受けた。

 

そして、21日より入山した。中型バス1台に22名をギュウ詰めに、天井には荷物を満載して出発。マラングゲートは多くの登山者を迎え入れるキリマンジャロ山の玄関口で、この山域の学習も出来る展示物が豊富だった。火山としての成り立ち、植生のゾーニング、固有種を写真で紹介するなど、興味深かった。又、入山手続きも各人がパスポート№やサインを求められ、結構手間取る。そのうちに雨が降りだし、傘を差し雨具を着込み歩き出した。5時間後、標高2,720mのマンダラハット着。小屋2つに3人ずつ分かれて宿る。びしょ濡れの我等は、荷物や濡れた雨具などをせっせと小屋内に広げて干す一泊目だった。

 

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翌朝、まぶしい陽射しの下スタッフ紹介があり、キリマンジャロの歌を聴かせてもらった。

この歌は、今後幾度もスタッフたちが歌ってくれて、私達の苦しい道中を励まし続けた。今じゃ私も歌えるし~♪ ジャンボ!ジャンボ ブワナ! ハバリガニ ンズリサナ!♬

 22日は、ここからホロンボハット(3,720m)まで千mの標高を稼ぐ。出発後2時間で植生の変化が見られ、雨林帯→荒野に灌木帯だ。そして雨が降り始め、又ずっと雨具着用で進んだ。ランチポイントには屋根がけのベンチとテーブルがあって、温かい食事が供された。キノコスープにチキン&ベジソース、トーストなど。オシャレなサラダも付いた!この日は約8時間半の行動時間で、結構なハード気分を味わう。ジャイアントセネシオという特有の植物が林立する地帯に来ると、ホロンボハットはもうじきだ。この夜も、濡れた状態で小屋に入る。標高は既に富士山と同レベルで、さっそく食欲の低下をみる。頭痛も伴い、夜中に目覚めて血中酸素濃度を計測すると69だった。すぐに腹式呼吸に切り替えて、91まで回復させた。水分摂取も怠らずに努めているので、トイレへも8時、11時3時半、6時と夜中に通う。夜半は星空が見えていた。

 

 23日は、高度順応でホロンボハットに連泊する。午前中、標高4,000mのゼブラロックまでの散策。これ又、本降りの雨の中、傘を差して歩いた。ダイアモックス半錠を朝と昼の食後に服用して高度障害に備えるが、この日私は最低の状態だった。散策後、寝袋に入りぐっすり眠ったが、これが却って裏目に出たのか?休養したのに頭痛でダウン!

 午後のお茶タイムには、他5人は元気なのに自分一人伏せってしまう程だった。

グッドラックが心配してくれ、洗面器に温かいお湯を運び、それで顔や体を拭いてマッサージしたら?と勧めてくれた。実際にやってみると、気分がとてもさっぱりとして清々しく「Get well, Thank you!」でした。ホロンボハットに集う世界中からの登山者さんと立話で、お互いの高山病を慰め合ったりする。この日の心境は「早めに症状が出た私は、この後リカバリー💛」と、あくまでも超楽天的で前向きです。

 

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 24日の行程は、標高4,700mのキボハットまで更に1000mアップで厳しい。前日の雨は高地に雪を積もらせ、今朝はキボ峰もマウェンジ峰も、冠雪した姿が超カッコイイ!荒地灌木帯から、山岳砂漠帯に変化した道のりは、緩い斜面をず~っと登っている。

4時間ほど登った頃、ザ・サドルの看板前で休憩した。ジュースをもらって飲み、眠さに耐える。4,000mを遙かに越えて来たな・・・と思った頃、赤塚さんが不意に立ち止まり始める。こりゃー、ヤバイよという感じだ。私も眠くて目を閉じたまま歩く。ランチポイントで休んだ後、最後の1時間位はチャールズが荷物を引き受けてくれた。午後2時、キボハット着。ダイアモックスの副作用で手指の先がビリビリと凄く痺れているのを感じた。

 総勢が一部屋に通され、ここで今夜0時のピークアタックに備える。トイレへ行くにも息が切れる空気の薄さは、すべて緩慢な動作を余儀なくさせる。登頂のための作戦会議でグッドラックが言った事は、以下の通りだ。

① 随行するスタッフメンバーは6人。チャールズ、パオロ、ベンジャミン、スチュワート、サムエル、グッドラックがSummit members だ。

② ゆっくり止まらずに歩き続けるので、もし具合が悪くなったらすぐに伝えてください。

③ 吐く人もいるけれど、問題ありません。吐いた後の方が良くなることもあります。

④ ハンスメイヤーズケイブまではグッドラックが先頭でみんな一緒に進みます。

⑤ その後は、マンツーマンでサポートし、誰が誰に付くかは、その時点で指示します。

 その頃、腹下しと頭痛に悩んでいたA氏は「服薬して、23時の状態でアタックするか否かの判断を下しましょう」との宣告を受ける。果たして数時間後、発てるであろうか?!

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 25日の0時、ヘッデン灯して6人全員が登頂に出発した。そう、出ましたのです。

付添うのは元気いっぱいのアフリカンガイズ6人。暗闇の中に点々と灯が並び、ゆっくりとした歩みでひたすら進む我等。そして無駄に元気すぎる?奴等は、信じがたい大声で励ましの歌・・・あのハクナ マタタ、キリマンジャロを歌ってくれる。「一緒に歌わなくてイイよ。エナジー消耗しちゃうから」と言われました。結構笑いながら登って行った。

暗くて時間の経過も把握できない私、たまに休憩しつつ歩き続けて緩かった傾斜もいつしか急斜面をジグ切って行くように。そして背後から空が明るんで、いよいよ夜明けか!手元に写真は撮って残っているが、記憶があまり残っていない。すでにヘロヘロ?

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前を行くりっちーの後ろ姿を追い続けた事は断片的に思い出せる。あっ、よろめいて吐いてしまったやん!大丈夫ですか?これだな、グッドラックが言っていたのは。7時半、ついにギルマンズポイント着。最高峰のウフルピークまでは、まだあと2時間かかるて。みんなで記念撮影に余念なく集合して撮った後、次なるピークを目指す。ところがガイド氏は私に囁くんだナ「ミチコはもう、これで引返したほうがいい」と。メンバーズからも「顔色、相当蒼白だよ」との指摘を受ける。迷いましたね・・・行きたい、ウフルに!でも、苦しさは体一杯だった。去年のヒマラヤで体験した5~6千mの苦しさと同じ重苦しさで、未知の苦痛ではない。で、雪道を追いすがり同行したのだが、グッドラックは冷静にご忠告。

「みんなの通訳をしてくれるミチコが一緒に行けないのは残念だけど、引返すならば今がチャンスだ。ここならまだ大丈夫、間に合うよ」「サムエルが一緒に付添うから」とね。

 これで私の決心はつき、ここで皆さんを見送ることに。いたわりがちに寄り添ってくれるサムエルは、穏やかで優しい声の持ち主。控えめな性格と思われ、これまでも道中にいろいろと家族の話などをはにかみ勝ちに話してくれていた。内心しょんぼり下山も、こうした癒し系キャラのアテンドで勇気づけられ、キボハットまでの長~い下り道を頑張れた。

 それにしても長くツラい下山路だった。途中で休む度に意識がとぶ程、気がつくと眠っていた。10時半にキボハットに戻ったので、3時間弱で下りたことになる。7時間半かかって登った道を、半分以下の時間で!部屋に入ると、先に下りていた赤塚さんがノビていたので、安心して二人してノックダウン会話を交わした(笑)

 さて、あとの登頂組の帰りを待ち午後2時にはキボハットを発った。今日はホロンボハットまで戻らねばならぬ。どうしてこんなにキツイ行程をこなさねばならないのか?恨めしく感じつつも、答えは判っているのだ。早く標高を下げて、一刻も早く酸素の濃い空気を吸うために!だけど下山路で覚えた右肋骨内部の痛みは「肺がやられた?」という恐怖を伴い、「荷物持ちましょか?」というスチュワートの言葉に一も二もなく速攻で乗っかる。

「チップはずませてもらうわ~」。メンバー各自の辛かった体験は、この夜のハット食卓で祝杯(スパークリングワイン)を上げる喜びに変わっていった。0時から始まった長い一日は、山中最後の夜だった為宿題を済ませないうちは終えられなかった。というのは、スタッフのみんなに明日、下山時に渡すチップの調整作業が重要だったから。納谷さんと、グッドラックに絡み綿密に過不足無きよう、不満が出ぬよう、細心の注意を払いながら計算したっけ。この頃にはもう、私の高山病は完治していたと言えようか。日本から持参したお年玉袋にスタッフ全員の名前を書き入れ、手渡す準備を整えてから夜更けに就寝した。

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 26日、とうとう最終日は一気にゲートまで下山する。朝の晴れ晴れとした青空は、これまでで一番の輝きであった。小屋の上方にキリマンジャロ山がすっきりと姿を現した。みんな撮影に夢中!慣れ親しんだホロンボハット(3泊もした)にも別れを告げ、名残り惜しく振り返りながら下って行った。既知の道を行くのも悪くないですよ!道を行き交う人々とは「ジャンボ!」と挨拶。マンダラハットまで下りて来る頃には、周辺に生息する野生動物の存在をガイドがいち早く察知して教えてくれた。彼らは本当に目が効く。樹の肌に同化してジッと動かないハイラックスでさえも、何故か見つけてしまう。素晴らしかったのは黒白コロブスという野生の猿たちだ。樹上に暮らし、立派な白いフサフサの尻尾が特徴だ。何頭も群れをなし、動き回る姿を観察できて感激だった。最後の下り道に、私達は何と!またもや土砂降り雨に叩かれてしまった。しかも、全日程を通じて一番の激しさで・・・・。マラングゲートに戻り、ランチボックスが提供されたのを開けてみるとそこには日本のおにぎりが入っていて驚く。松岡さんお手製の卵焼きまで・・・。お米のパラっとした粘着度の無さは現地米ゆえ仕方なく、梅干しの酸っぱさに喜びを噛み締めた。

 

こうして5泊6日のキリマンジャロ登山は、終結し「キリマンジャロビール」の缶をプシュっと開けてみんなニコニコ、安堵の息をついた。

 翌日からは、またゲームドライブと呼ばれるサファリ動物ウォッチングが展開されるのだが、この山行報告書はこれにて締めくくります。こぼれ話は又、別掲にて!

「りっちーみっちーポレポレGO!」を書きますので、お楽しみに~

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ヒヤリハット

高度障害には万全の対処法を。

① 動作はゆっくりと ② 水分を十分にとる ③ 消化力が落ちるので食べ過ぎない