カムイエクウチカウシ山1979(㍍)八ノ沢コース

【山名・コース】カムイエクウチカウシ山1979m・八ノ沢

【期間】 2021年 7月 23日(金)~25日(日)

【天候】晴れ 

【形態】 【A】・ C ・ P ・ 他

【性別】 男性 2名 女性 0名

【メンバー】 CL 納、SL 佐TK

【山行形態】 【尾根】 縦走 (沢登り)岩登り 登攀 山スキー 

【地点時間】〔記録者〕会員№317 納

7/23(金):0530札幌発→0930幌尻ゲート駐車場1010→1200入渓七ノ沢出合→16:50幕営地八ノ沢出合着・幕営

7/24(土):0500八ノ沢出合発→0650三股0710→0910八ノ沢カール0935→1015主稜線1025→1130カムイエクウチカウシ山1200→1245主稜線1300→1325八ノ沢カール1345→1600三股→1820幕営地八ノ沢出合

7/25(日):0600幕営撤収→0630八ノ沢出合発→0810七ノ沢出合→1010幌尻ゲート到着

【短信・感想】会員№327

山名のカムイエクウチカウシはアイヌ語で“熊が転げ落ちるところ”と訳されるらしい。その呼び名から奥深い急登が続く厳しい山と云うイメージがあり、“日本二百名山”では最難関とされ、体力度:★★★★★ 難易度:★★★★★と評価される山である。

また、カムエクと云えば過去に辻さんが“たいすけの山よもやまばなし”で紹介しているが、1965年北大山岳部雪崩遭難事件(犠牲者6名、大雪崩が雪洞に直撃しメンバー5名が即死し奇跡的に澤田CLが4日間生存し地形図の裏にしたためた“雪の遺書”発見)、1970年福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(犠牲者3名、2名生還)と、北海道の山岳史に残る悲惨な事故が発生した山としても有名である。

自分としては3年ほど前からカムエクを皮切りに日高シリーズを考えていたが一昨年はカムエク山頂にヒグマが停滞し登山者を襲う事故が連発し断念、昨年はコロナで断念しており“今年こそ”の強い思いで計画した。

パートナーは26年前に笠さんと登って以来のチャレンジと云う佐TKさん。

自宅を05:30に出発し中札内経由で09:30幌尻ゲート駐車場に到着。この時点で30~40台置けそうな広い駐車スペースはほぼ満杯。カムエクは人気の山であり200名山、300名山の道外からのピークハンターも多いため五輪の連休を利用しこれだけの人たちが入山しているのかと八ノ沢出合の幕営スペースが空いているかなど心配になった。

装備をしていると三人パーティーが下山してきたので、気になる点を確認してみた。

水量は膝下程度、登山靴は持たず沢靴でピークハントしたとの事。他にも熊情報、幕営地情報など有効な直前情報が入手できた。

10:10登山靴は持たず沢靴のみとし装備を整え、累積標高:2172m、距離:29.7kmの道のりをカムイエクウチカウシ山頂を目指して出発。

背負った装備の重量は約18㎏程度。

現在幌尻ゲートは閉鎖されているが数年前までは入渓地点の七ノ沢出合まで車両通行が許されていたとの事。片道約7㎞の林道歩きは約2時間、出来れば避けたい。佐TKさんも26年前は車で入渓地点まで入ったと話しており往復4時間が省力化できる。この山の紹介では入渓地点まで自転車を使うと良いとされているが重いリュックを背負って自転車で走るのは危険と考え敢えて約2時間歩くことを選択した。

歩いている間はやっとカムエクに登れる嬉しさと奥深い日高の自然に感動しつつも、入渓する札内川の水量、川岸の状態、巻き道の藪の濃さなどを観察した。

途中、林道に鹿の毛が散乱していた。皮・肉などはすべて腐敗して跡形は無かったが、ひづめがついた脚部の骨など数本が残されていた。森の中の生態系ではあるが凶暴なクマの存在を思い起こさせるものであり、クマ鈴を大きく鳴らしながら歩いた。

 

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12:00 七ノ沢出合に到着。ここには“カムイエクウチカウシ山入口”の看板があり、数台の自転車がデポされていた。

いよいよ入渓だ。歩きやすいところを選びながら右岸、左岸、巻き道を使いながら進む。ピンテなど目印になるものは少なく、コースは分かり難いが、沢を歩き慣れている佐TKさんは水を得た魚のように生き生きし本領発揮だ。

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16:50 幕営を予定している八ノ沢出合に到着。幕営スペースはほぼ満杯だが何とか一張り分のスペースを確保し当会で購入したばかりのファイントラック カミナドーム4を組み立てる。河原で夕食を摂り、翌日の行動水を確保し19:00就寝。

7/24 04:00起床、05:00出発。

昨日同様、入渓しながら右岸・左岸を繰り返しながら進む。間もなく八ノ沢カールが正面に見えてきたと佐TKさんが指差すが随分遠くに見える。この日の行動は13時間を予定しているのだが、まだ30分しか経過していない。

三股付近からは雪渓も現れる。大小の滝も現れ、巻いたり、岩を登ったり、敢えてシャワークライミングを選択したりして楽しむ、河原に出るとゴーロは徐々に大きくなり歩きにくい。カムエクは上級者向けの山とされているがオールラウンドの技術が求められる山であることを再認識した。

06:50三股には二張りが幕営していた。

計画の段階ではここまで来れば山頂まで4~5時間程度、1泊2日の計画が可能なので検討した。しかし、ここまで幕営装備を持ち上げるのに約8時間、また長い道のりを幕営装備で下山することを考えると体力的負担が大きい。佐TKさんの意見も早朝札幌出発であり無理をせず八ノ沢出合で幕営する2泊3日がベストと云うものであり今回の計画に至った。

ここからは、いよいよ滝を登り、沢を詰め、八ノ沢カールを目指す。

09:10 八ノ沢カール到着。

山頂が近づき迫力が増しことを実感する。

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ここには福岡大生の碑が残されている。

今の時代の我々からするとヘリ救助には最適な環境であるが当時はヘリを簡単に呼ぶことはできなかったのだろう。勿論、携帯電話など無いのだし…。

熊に襲われた3名を荼毘に伏したと云う大きな岩の焦げ跡もそのまま残っている。合掌

八ノ沢カールでは少し長めの休憩を取りカムエク山頂へ約2時間のアタックを開始。

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藪漕ぎと急登、暑さとの戦いが続く、カムエク一番のお花畑が歓迎し癒してくれているのだが厳しい急登に余裕がない。登りながらこの山に登れるならキリマンジャロも登れるだろうなどと考えながらスイスイと進んで行く佐TKさんから離れないよう高度を上げる。

山頂には日高山脈のパノラマを見渡す数人の人影が見える。

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昨日、我々に付いて一緒に幕営地に入った道外のピークハンターが降りてきた。彼は幕営地を4時出発し今日中に下山し次の夕張岳へ移動したいとの事。声援を送り別れる。

植生を掴みながら急登を進んでいると「納さん!」「エッ!こんなところで誰?」と振り向くと雪崩研究会で一緒にやっている二人だった。記念撮影しエールを交換して別れる。山頂直前での出会いだったが幕営装備を持って山頂まできていた彼らから元気をもらえたような気がした。

11:30 念願のカムイエクウチカウシ山1979mに登頂!

佐TKさんは10分くらい前に登頂。互いの健闘を称え記念写真の撮影をした。

30分くらい山頂に居ただろうか、パノラマのように広がる日高の山々に感動しながら見入っていた。しかし、出発してからここまで6.5時間を要し、これから幕営地まで6時間程度は掛かる。

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12:00下山開始。

主稜線で3人パーティに会った。彼らは今朝3時半に幌尻ゲートを出発したとの事。

イムリミットを14:00としてカムエク山頂を目指していると云うのだが若干厳しそう。

13:25八ノ沢カール到着

雪渓の冷たい水で喉を潤し幕営地までの行動水を確保する。

この日は4.5㍑~5㍑くらい水を飲んだ。

さっきすれ違ったパーティーが諦めて降りてきた。リミットを14時半にすれば登れるとアドバイスしたのだが何とも勿体ない。しかし、若いパーティーなのでまたチャレンジするのだろう。未練はないようだった。

色々話していたら三人のうち一人は雪崩講習会受講生、もう一人は去年チロロ林道から幌尻岳に行ってませんでしたかと突然の質問。確かに戸蔦別山頂で幕営していた女性二人パーティーに声を掛けた。ハキハキした返答で山が好きな二人だと思い百松山岳会へ勧誘した女性だった。それが一年経てカムエクで会うなんて山の出会いは不思議なものだ。

八ノ沢カールには70才overと見られる3人パーティーがヘバッテいた。

昨日、幕営地に最後に着き我々の隣りに幕営したパーティーだった。

少し話すと、やはり200名山の最難関の山だ、ここまで来たが山頂は諦めるとの事。

帰りのルートも自信がないらしく我々は彼らを先導して下山することとなった。

佐TKさんは我々だけなら使わなくて良い場所でザイルを出し彼らを安全に下山させる。佐TKさんのサービス精神に感服した。佐TKさんのルートファイティングで18:20無事幕営地に到着。彼らは佐TKさんに感謝感謝だった。

この日は佐TKさんが担いできた一本だけの貴重なビールで乾杯。食事後はテント内で残った趣向品をすべて飲み切り床に就いた。

7/25 朝食後幕営を撤収し0630出発。

帰りは時間切れで山頂を諦めた3人パーティーと偶然一緒に出発。休憩ポイントで会うたびに歓談しながら下山した。

08:10七ノ沢出合

ここで沢歩きは終了。誰か迎えに来てほしいと頭を過ぎるが現実は約2時間、ほぼ7㎞の林道を歩き始める。しかし、装備は重いが何故か足取りは軽い。

1010 幌尻ゲート到着 山行終了

遥かなるカムイエクウチカウシ山キリマンジャロより厳しいかもしれないと思いながら急登に耐えた山だったが噂に違わぬ名山であり達成感は半端ないものでした。

佐TKさん、ありがとうございました。

これからも続く日高シリーズ頑張ります。

 

ヒヤリハット

カムエク山行はフェルト底の沢靴で山行を通した。

フェルト底は登山靴と違い靴底のグリップが無いため沢歩きでは藻の滑りなどに滑りにくく開発された靴だが、川岸歩きでは、岩、土壁で何度も滑りそうなりヒヤリハットの場面が生じた。

幸いにして怪我、滑落などに繋がることはなかったがフェルト底の沢靴での山行は特に足元を注意しなければならないと感じた。                  以上

 

辻さんにカムエク登頂報告のメールしましたら以下の返信がありました。

そこに、2007年12月 山よもやま話(9)に寄稿した カムエク雪崩事故の“雪の遺書”が添付されていましたのでご紹介しますので是非ご覧ください。

 

納君

メール謝々。カムエクを頑張って踏んできましたね。

昔々、山下元会長と故大久保さんと3人で早春のカムエクを山行し、テントの中で「山で死んだら敗北だね」と話し合ったことを思い出しています。

福岡大学のヒグマ事件は悲惨ですね。

それから北大山岳部の十の沢での雪崩事故も悲惨でした。

その時のリーダーの「雪の遺書」を山よもやま話の掲載したことを思い出しました。

 

昨日は猛暑の中、高尾山を登ってきました。いつも満員の山頂はガラガラに空いていました。この猛暑に利口な人は登らないようです。

 

昨日、今日とオリンピック競歩をTVに釘付けで見ています。

競技よりも懐かしい駅前風景を見ておりました。

ごきげんよう!    辻