《たいすけ》の山よもやま話 羊蹄山が二つあるってほんとう?

羊蹄山が二つあるってホント?  

                               岳 遊 子

 

 謹賀新年。皆さまには輝かしい新年を迎えられたことと思う。ご承知のように富士山は優美な風貌で日本の象徴として広く知られているが、北海道の羊蹄山(1,898m)も富士山に劣らぬ華麗な姿をしており、この山を見るとなぜかしら幸先が良く感じる。暇があることをよいことにして、ネットを検索していると、羊蹄山が二つあるスナップショットが出て来た。 


 ネットの解説によると、羊蹄山支笏洞爺国立公園の西端にあって、別名エゾ富士とも呼ばれ均整の取れた成層火山である。何故「後方羊蹄山シリベシヤマ」と呼ぶのだろうか。アイヌ語でマチネシリ「女山」あるいはマッカヌプリ「後方に対をなして一方にある山」とも言われている。女山であるなら男山もありそうなものだが、実はある。アイヌ語で「ピンネシリ男山」と林道金山線より。左手前方が尻別岳、右手後方が羊蹄山 (ネットの資料より)呼ばれている山、それが「尻別山(1,107m)」である。美しい形をしているが、若干ゴツゴツしている。即ち夫婦山とも呼ばれている。アイヌ語の研究者で言語学金田一京助さんの説によると、この山を後方羊蹄山と呼ぶようになったのは、幕末隋一の蝦夷通だった松浦武四郎である。もともとこのあたりの地名の後方(しりへ)と、植物のギシギシ草の漢名である「羊蹄」を和名で「し」と言うが、それと列ねてシリヘシに当てて名付けたのは阿倍比羅夫であると日本書紀に出ている。松浦武四郎が北海道の地名にこの字を選んだ時、こういう歴史上に名高い由緒ある名を復活させたかったのであろう。因みにギシギシ草は茎をすり合わせるとギシギシという音が出すことからこの名があるが、当時の羊蹄山の麓にはギシギシ草が自生していたのであろう。俗名「スイカンポ」と呼び、塩を付けて食べることができる。
深田久弥は古くは斉明天皇(7世紀中ごろ)の時に、すでに日本書紀後方羊蹄山(シリベシヤマ)と記されているので、「ヨウテイザン」と呼ぶことに断固反対している。
また地元の倶知安町後方羊蹄山が難読であったことから羊蹄山への変更を求め、昭和44年発行の地形図から羊蹄山と書き替えられ、羊蹄山の名が定着することとなった。
□今年もどんな山に登り、どんな出会いがあるかわからないが、山に大きな愛情を寄せている皆さんと過ぎ去った古い時代のことをとどめながらこの「後方羊蹄山」に連れってもらいたい。