「鉱山植物は礼文島に多く、富士山に乏しいのは何故?」

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高山植物礼文島に多く、富士山に乏しいのは何故? 辻井泰輔

 

謹賀新年。皆さまには輝かしい新年を迎えられたことと思う。昨年も年頭に「今年の計画」を立てたが何故かしら思い出せない。一年過ぎてようやく『節酒』宇治さんfだけを思い出している。昨年はコロナ禍に怯えたが収束しそうもない。山を登っていても2m以上は離れろ、三言以上の無駄話はするな、すなわち 「I love you 」は三言だからダメ。「I love…」は二言だからO.Kだそうだ。

 

日本を代表する富士山はどこから眺めても美しく、遠望できたときには何となく安堵を与えてくれる。富士山を登山され方は多いと思うが、富士山にはハイマツは分布していなし,ライチョウもいない。そして高山植物が乏しいのに気付いたことと思う。一方、低地の礼文島高山植物が多いのは何故だろうか。

日本最北端の細長い小島、礼文島。海抜200mほどの丘陵がゆるゆると連なるが、この島はじつは高山植物の宝庫で、海岸から高山植物が生育しているので有名だ。あの丸味の形をした可憐なレブンアツモリソウをはじめ、レブンコザクラソウ、レブンウスユキソウなどこの島だけに生える固有種も少なくない。

 

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 なぜ海抜0mから高山植物が生育しているのだろうか? 礼文島と緯度がさほど違わない大雪山では、標高1,600mを越えなければこうした植物は見られない。つまり礼文島高山植物大雪山などの高山帯の植物群からの飛び地になっている。何故だろうか? 植物学者の話を聞くと、礼文島高山植物氷河時代の植物群がそのまま生き残ったものだと考えている。

このような現象を「レリックrelic」(残存)と呼ぶ。2万年ほど前の最後の氷河時代、この島は大陸や北海道とつながっていて、北方からツンドラ植物群が移住してきた。それが1万年ほど経つと、さしもの氷河時代が終わりに近づき自然界には急激な温暖化が始まり、氷河の融解が進み海面が上昇した。

 大陸棚にあった高まりは海に取り囲まれるようになり、ついには北海道本島から離れて島になっていく。おそらく早めに離れた島ほど、ほかの島からの植物の移動が妨げられ、従来の植物が残ることになり、現在の高山植物が展開するという特異な風景をもつ島になった。   対照的に100kmほど南にある焼尻島は北海道からの離島化が遅れたらしく、北海道本島からのさまざまの植物が残り、北海道本島に生える野草しか見られない島になってしまった。

 ところで、北海道の内陸にありながら、その生態系が氷河時代の生き残りとみられる興味深い山がある。それは東ヌプカウシヌプリ山である。十勝平野の北のはずれにある然別湖のすぐ南、あの優美な「くちびる山(天望山)」の隣にあり、登山口は白樺峠。

 

この山は標高1,250mほどだが、標高800mほどの中腹にイソツツジガンコウランなど様々な高山植物が生育している。

さらに氷河時代の残存であるナキウサギや天然記念物の高山蝶カラフトルリシジミが多数生息している。すぐ北にある大雪山では高山植物が生育するのはおよそ1,600m付近だから、ここの高山植物は異常に低いところに分布しているわけだ。しかし、この類まれな自然はいま、絶滅の危機に諷している。

 

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 富士山は火山である。過去に動植物などが全滅してしまうような活発な噴火活動を続け、現在のような植物が侵入できる状態におさまったのが、氷河期が終わった1万年前といわれている。つまり現在の新しい富士山が形成され、植物が侵入できる状態になった時は、極地性の植物帯すなわちツンドラ植物帯が北方へお帰りになっていた。要するに高山植物が富士山に登る機会を逸してしまった。

 

 以上が富士山に高山植物が少ない理由の概略である。

環境が厳しかったころは多種の高山植物の共存が可能であったが、温暖化によって競争能力の低い種が絶滅につながっている。さらに低い標高の植物が高山帯へ移動している。低い標高の植物は温暖化に対して、より高い標高へ移動して生存し、高山植物もより高い標高の場所へ移動して行った。 

*参考文献;「山の自然学」小泉武栄著。岩波新書。                  2021.1