2020-11-13~16 大峰山主峰八経ヶ岳(1.915m)・熊野古道小辺路(15km)

【山名・コース】大峰山主峰八経ヶ岳(1.915m)・熊野古道小辺路(15km)

 

【期間】 2020年 11月13日(金)~16日(月)

【天候】 晴れ/曇り

【形態】 A・ C ・ P ・ 他

【性別】 男性 1名 女性2名

【メンバー】CL古  SL 藤 メンバー椎

【山行形態】 尾根 縦走 沢登り 岩登り 登攀 山スキー スノーシュー

【地点時間】〔記録者〕会員No 327 藤

・11月12日:大台ケ原出発13:00→天川村洞川温泉15:30

・11月13日:宿出発5:30→309国道→行者還トンネル西口6:10→登山出発6:30→奥駈出合7:30→聖宝の宿跡8:35→弥山小屋9:30→八経ヶ岳頂上10:10~10:25→弥山祠11:00→聖宝の宿跡11:50→奥駈出合12:40→登山口13:30→出発14:00→天川村経由→十津川温泉17:00

・11月14日:宿出発8:00→果無峠登山口8:50→第1見晴らし9:10→山口茶屋跡10:25→果無峠11:50→三十丁石13:00→山道下山13:25→一般道路→八木尾バス停14:15→古道→三軒茶跡15:00→熊野本宮16:00→バス17:40発→川湯温泉18:00

・11月15日:川湯温泉発8:40バス→十津川温泉着10:00→公衆温泉入浴→十津川温泉出発11:00→奈良県大阪府京都府滋賀県福井県敦賀新港着16:30→敦賀発フェリー23:55出港

・11月16日:苫小牧東着20:30

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【短信・感想】                          藤

  13日:八経ヶ岳弥山コース

柳川さんと大台ケ原で分かれ3人の行程。1人欠けると寂しいけれど気を取り直してレッツゴー。

伊吹山から大台ケ原に抜ける国道370号線から国道169号線も時に、狭い上に杉木立で薄暗く、カーブの連続で肝を冷やしたけれど、国道309号線は全く「酷道」としか言いようがない道で、車は30キロ以上もの道程を時速20キロ以下で運針のように進まなければならず、天川村に入るまでドキドキだった。

今朝は八経ヶ岳登山口行くために、天川村洞川温泉から戻る形で昨日の道を通らなければならない。夜が明け切らないうちに出発したら、リーダーの予想通りすれ違う車が無く、スムーズに登山口に到着。板橋を渡って登山開始。

稜線まで急登でガイド本には1時間とある。登山道は尾根伝いに木の根が入り組んだ道を登っていくが、整備された幅広の登山道で登りやすく、ちょうど1時間で奥駈出合の分岐にでた。ここから暫くは、ほぼ平な行程で、落ち葉に埋もれた道跡は踏み跡がはっきりせず、どこを歩いても良さそうでガスがかかったり、悪天なら道迷いしそうになる。聖宝の宿跡からは九十九曲折と表される登りになるが、8割方は先程のような急登ではなく長い木道階段と時折短い鉄梯子登りが続く坂道。

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木道の階段の多くは土留めの役割が主で足幅に会わず、みんな横にそれて土場に新たな踏み跡を作るが、これは明らかに人の為の階段。整備された登山道に感心する。標識通り出合いから2時間で弥山小屋に到着。既に今期の営業は終了して冬囲い仕舞である。ここから遠くに見えた八経ヶ岳には40分で到着した。

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近畿最高峰の山である。途中今までには見なかった立ち枯れの木立、オオヤマレンゲ群生地など花の時期ならその対比に目を見張ったかもしれない。

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頂上からの眺めは良かったが、知識がなく山の名は分からなかった。弥山は小屋の側にあり、お参りを済ませて立て看板を読むと、今上天皇が皇太子時代に登山されたらしい。それで登山道の整備に合点が入った。下山は往路を戻ったが、西に狼平を下ると、とても良い避難小屋があるらしく、そばの川で魚釣りをすると、出会った登山者から聞かされた。予定通りの時刻に下山出来た。ここ大峰山脈は深山密教の霊山あり、修験道を主とする山ありで女子結界門から先には進めない女子禁制の山もある。逆さ吊りで有名な「西ノ覗岩」がある山上ヶ岳、ここには女子は今でも入れない。雄大な展望と神秘な雰囲気が漂う修験道。行者が歩いた道を「行者弁当」=塩握り飯(中身無し)を持って歩いてきた。泊まった洞川温泉も行者の宿場として栄えてきた処であり、林立した漢方胃腸薬「陀羅尼助」の薬店が昔の日本にタイムスリップした面影を宿していた。下山後

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は天川川合まで戻り、経由して十津川温泉に向かう。309号線よりはましな国道だ。十津川温泉17時前に到着。この宿の露天風呂は狭いけれど、風情と清潔感があり満足。食事は地産地消を掲げているので、質素ながら野菜中心で胃にやさしい献立だった。

 

14日:熊野古道小辺路15Km

宿の駐車場に車を置かせてもらい一泊二日の熊野古道小辺路歩きに出発。暖かい秋晴れの朝を迎えて出発。熊野川をまたぐ赤い橋を渡って途中昼食を買い込み、又橋を渡って直ぐに左に折れたところが果無峠登山口。登山口の標識!?小辺路入り口ではないのかといぶかしく思って歩き出すと、まさしく石畳の急登でこれは登山に違いないと納得。ここから果無峠までは標高差950m、熊野本宮まで15Km行程を歩く。

果無峠までは民家の軒下を通り、一般道を横切り、薄暗い杉木立の中すれ違う人もなく3人でのんびり歩く。水は要所々に湧水が引かれており、補給の心配はない。果無峠分岐に着けば明るい日差しが入り遠くに集落が見える。

十津川村は今でも日本一広い村であり、北海道とも縁の深い村だ。北海道新十津川町は、1889年十津川村を襲った十津川(熊野川)大水害で被災し移住したひとたちが開拓した地だ。当時はこの路通って神戸にたどり着き、航路で北海道に渡ったらしい。ネット検索によれば約2500人が渡道したという。広い土地を求めてやってきたのだろうけれど、故郷を遠く離れるには想像する事の出来ないほどの葛藤があったに違いない。ここから見える急傾斜にへばりつくように点在している家屋はネパールに点在する集落に似ている。そんな思いを頭に描きながら下山開始すると、登りと違って、露岩交じりの落差大きい急傾斜の路で、慎重に降りる。山道の出口はバス停前で、ここから暫くは舗装された一般道を歩き1時間で又山道に入る。ここは中辺路とつながっており、ツアー客がガイドの説明を受けながらぞろぞろ歩いている。三軒茶屋跡から土場のやさしい路を本宮に向かって1時間歩き、16時熊野本宮大社に到着すると、大勢の参拝者が行き交っている。神の使い八咫ガラスはJFAのエンブレムです。神武天皇の故事から「蹴鞠→サッカー→ゴールへの道導き」となるらしい。バスで本日の宿川湯に向かった。

 

15日:8:40発バスで川湯から十津川温泉へ。

戻る途中は、車窓から雄大熊野川、道路沿いに温泉宿、キャンプ場の案内が多く目についた。

十津川温泉最後の目的は、この停留場そばの公衆温泉「庵の湯」に入るお楽しみだ。宿から割引券をもらっており300円で入浴。

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階段を下りて内風呂だが、熊野川に面して湯船の幅ほどの窓が天井まで広がっている。名残の紅葉で渓谷を彩っている様がその窓に映し出されている。しかも10時なので女湯は私達2人の貸し切り風呂。木の湯舟に洗い場、10人も入れば一杯になる広さが雰囲気を壊さない。7日間も良く歩いたもんだと足をさすりながら感慨に浸って、もっと入っていたいけれど、今日は敦賀まで戻って帰路に着く日、明るい内に到着せねば運転者が疲れます。十津川温泉を出て「谷瀬のつり橋」「めはりすし」「渋柿」と当地の名所、名物を頂きながら17時前に新港到着。出発まで夕飯と居眠りで過ごす。23:55出港

16日:苫小牧東20:30入港

出港後は寄港地がない直行便で苫小牧東に予定通りの時刻入港。移動日を入れて10日間の山行の終了です。初日の白山こそ上は曇天とみぞれに当たったが、その他は天候に恵まれ頂上からの眺望もあり、紅葉も楽しめ、何より怪我無くすべての山行をこなせたことが大収穫です。クーポンの利用効率まで考えてくれた会計の椎名さん、山行報告の柳川さんありがとうございました。私がナビを時折間違え、神経をすり減らさしてしまい迷惑かけた、運転の古さん、計画立案までありがとうございました。

付け加えるならもう一度、洞川温泉十津川村に行き、内田康夫新十津川物語に思いを馳せたい。

最後にSIMの入ってないタブレットGoogleマップが問題なく使用できたことは、私には発見でした。事前にルートをダウンロードしていきオフラインでの使用でしたが、緊急にダウンロード無しにWi-Fiが無くてもルート探しが可能でした。 

 

ヒヤリハット

特になし